増田にツッコミ。


1日に2つ目のエントリを立てるのは(hatenaでは)初めてなのだが、
こういう方法でええんじゃろか?

まあいいや。とりあえず、やってみる。


2月9日のエントリと、少し前になるのだが、こちら。
犬の餓死
 http://anond.hatelabo.jp/20080209222931

hatenaの増田だから当然無名氏の作品なのだが、
この創作はちょっとツッコミをしておいたほうがいいかな、と思ったもので。


実は自分、この増田の前ににこちらの記事を読んでいたんだが。
Realtokyo
http://www.realtokyo.co.jp/
の編集長(小崎哲哉 氏)のコラムで
「犬と鼠」
 http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/outoftokyo/bn/ozaki_179/

いやーこのネズミすげーよ、ネズミ!
死体損壊のはず(といってもネズミだけれども)なのに、その概念をぶっ飛ばしてるよ!
ピカチュウってやっぱ面白いよね!


てなハナシはさておき。


とまあ、先に
この、「犬を殺すことがアートか否か?」
といったような問題提起を軽く考えた後だったんで、
そういったところでこの増田を見ると、
どうも腑に落ちないというかなんというか。


枝葉の問題で言えば、
たとえば、

>次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用する

とあるが、
アーティストはコスタリカ人で、
どうやらこのアートもコスタリカでの実施だったようだが、そもそも
コスタリカでは「飼えなくなった犬を保健所に集める」というシステムが
あるんじゃろか。


もちろんどこの国家でも大抵は公的な保健施設はあるものだが、
それはニンゲンの保健衛生の場であって、
ニホンのようにとりあえず犬猫もここへ、という分類をしているのかどうか、
という部分でちょっとニホン的解釈丸出しだな、と。


んで、この増田のハナシの結びは、
各地の公園で捨てられ犬が増え、結局それらが見殺しにされることで
(つまり美術館内部での行いが路上にダダ漏れになったというかたちで)
作品が完成する、というような
皮肉を利かせることを優先させた終わり方をしている。


けれども。

そこで、どうして犬(や猫や他の動物を)捨てるのか、という、
その捨てる側への問題提起が一切なされていないのは、なんだかなぁ。
見殺しにする側だけを皮肉って本来の原因をスルーするというのは、
あまりにも創作的なご都合主義が過ぎるというか。


本来問われるべきなのは、
 捨てることになるような命を産ませるなよ、
 飼い続けられないなら飼い始めるなよ、
という部分であろうに。
(儲けのことしか考えないブリーダーとか、
流行りだからといって飼い始めるような頭のゆるいニンゲンとか)※1


物語の整合性を優先せんがためにこうした本質の部分をスルーする、てェのは、
この増田もまた、別の意味で
何かを見殺しにしているようにしか思えないのだが。
さて。


※0:実は、増田へのコメントのつけ方がよく分からない。これも、本来は無名のままでレスをつけたかった、というのが本音なんだけれども。
 どなたか、増田へのコメントのつけ方を教えてください、よろしくどうぞです(ペコリ)。

※1:多くの志ある動物飼育者は、この部分にこそ「捨てられ動物」の問題があるとして、「不妊手術」の必要性を口を酸っぱくして言い続けているもんだが。

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